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ヤッテなおとんの人生卒業式(前奏)

みなさん

ものすんごくご無沙汰しております桂榊です。

 

ブログの書き込みに今気がついて

お返事差し上げました。

心当たりの方は覗いてくださいね。

 

ちゃんとチェックしたけど

お返事なかったって方は再度

書き込みしていただけましたら

お返事しますので!

 

お手数おかけしますが

よろしくお願いします!

 

 

 

さて本編。

 

 

 

 

 

やっと心の整理がついたというか、

そろそろ書きどきかなぁと思いまして

去年起こった一番おっきいイベント

お父さんの死について

綴らせて頂ければなぁと思います。

 

 

 

話題が話題で恐縮なんですけど

 

お涙頂戴 

心が辛い

苦しいをドバドバ吐露する

私の思いに共感して頂戴系

 

ではなく。。。。

 

(まず、それはしないって読んでくれてる方はわかってるとは思うけどw)

 

 

こういうお別れもあるんだ〜!

 

と、思える感じで

 

私なりの表現で

書き進んでいきますので

かなり長い文章になるかもですが

お手すきおヒマな皆様どうぞ

お付き合いいただければなと思います。

 

 

 

 

 

父は去年の12月に天に帰ってしまったのですが

 

 

私たち家族はこんなあっという間に

さっさと天に帰っちゃうとは思っていなく

まーったく準備が出来てない状態で

 

おとん様は

いつも通りのワンマン進行で

天へと旅立ってしまいました。

 

 

父の死へのイントロダクションは

それはそれは、不思議な事の積み重ねで

私も家族も超絶びっくりの

終わりよければ全て良し状態の

天の采配に溢れたものでした。

 

私たち世代がこれから通らなきゃいけない

親の他界と云うテーマと

どう向き合っていくか?

 

それをスピリチュアリティを踏まえて

書かせていただければ、

 

皆さんの「その時」に

ちょっとばかりお役に立てるかなぁと

少々思っております。

 

 

 

 

それでは

少しばかり長く

少しだけ切ない感じの「前奏」

始まりはじまり。。。。

 

 

 

 

*********

 

 

 

父の病は母の言葉を借りるなら

「現代の流行り病」だそうで

 

治らない貧血と腰痛から

通院した結果、流行り病は大腸に発見されました。

 

80歳オーバーの父でしたが

お医者さんから大丈夫だろうという事で

一昨年に手術。

 

ありがたいことに、上行結腸(大腸の最初の部分)部位だったので

この手の手術でよく聞く人工肛門をつけざる状態は回避できました。

 

 

しかし1年後、転移発覚。

 

 

前回は手術できましたが今回は年が年だけに

手術ではなく薬でなんとかしようという事で

投薬を試みましたが合う薬が全くなく

(むしろ父の命をマイナスにする感じで)

 

主治医さんと話し合った結果

このまま見守ろうということに

なったのでした。

 

 

 

私は言霊を信じる系なので

あえて父の病名を

「現在の流行り病」で書いていきますが、

 

この「現代の流行り病」が直接の死因に

なる訳ではないそうです。

 

 

父の場合は大腸にそれが出来たのですが、

死因は「出血多量による死」のような感じです。

(まぁ元凶は流行り病なんですが)

 

流行り病の部分から出血してそうなるようで

父の最後の方は輸血で命を紡いでいました。

 

 

父がこの流行り病にかかってから色々調べたのですが

大腸の場合は他の部位に比べて死にゆく際の苦しみが

幾分か楽の部類にあるとのことでした。

徐々に出血していき、血液が失われることで

緩やかに意識を失い窒息していく。。。という感じです。

 

 

肺の場合は溺れるような感じでそれはそれは辛く

脳の場合は幻覚が伴うこともあるそうで

 

そういう部分では父はまだ

良かった方なのかもしれないと

少し腹をくくりました。

 

 

 

父の転移が発覚した時

母は今後の病の進行状況を

一切父に告げないことにしました。

 

流行り病が再発したことは

父は知ってましたが

どういう状態で蝕まれているのかを

知ることなく最後まで行きました。

 

 

 

膀胱に土筆のように生えてくる

流行り病を取り除く

簡単な手術を受けた後くらいに

 

今まで自分を省み見ず、我が道を進み

自分が正しいことをしていると

疑うことなどしない父が

 

「今まで自分は(人生において)

何をしていたんだろう。。。」と

 

父ではない素の表情で

まずそんな事いうはずもないあの父が

 

今まで私が見たことがない表情で

独り言のように私に語りかけてきました。

 

 

そんなこと一度もなかったので

言われた私が驚きでしたが

 

 

兄も私も普通の人として

人として当たり前に育ててもらったことを

本当に感謝している。

 

私は、いつもの口調で

あえて、そっけなく伝えました。

 

 

 

ただとっさに最後。

「私はもう覚悟ができてるから」と

言葉を付け足したのだけ覚えています。

 

 

 

 

 

秋の終わりに

「生きてるのが不思議なくらいの状態である」

という事を母はお医者さまから聞かされました。

 

年内もつかどうか。。。というお話でしたが

 

父は相変わらずで

不調はやはりそのままですが

たまに辛そうだったそうだけど

 

本当にそのまんま

そのまんま状態でした。

 

 

 

貧血がかなり酷くなり

顔色もほぼ白に近い状態で

ちょっと動くだけで息が上がり

階段を上がれない位になりましたが

 

輸血でなんとか状態を保ち

 

それでも家に居続け

止められてた原付バイクでで散髪に赴き

なんとか頑張ってましたが

 

ある時、限界を感じ

自ら入院する旨を伝えてきたそうです。

 

 

 

父はもし、万が一自分が死んだ時のために

用立てたもの一式を母に手渡して家を出ました。

 

その時点での父の、そして私たち家族の感覚は

多分病院でちゃんと点滴と栄養のケアを受けて2週間くらいしたら

状態を回復してまたうちで数日過ごせるだろう。。。

来年はどうなるかわからないし

最後の正月になるかもだねぇ。。。。

 

そんな感じでして。

 

実に本当にこの人が後2週間後に死ぬとか思えないくらいの

雰囲気だったんです。

 

私の感覚も、父の旅路までの時間は今から2年ほどあるだろう。。。。

そう告げていました。

 

 

 

暴走し異常繁殖した細胞が、

生命エネルギーをゴクゴクと飲み干すかのごとくに

あの流行り病の末期の大半は

本当に骨と皮だけになっていくということを

私は知っていたので

 

痩せ衰え

あの強い大きな面影の父が消えたとしても

どんな、形になろうと父は父だから

 

目を背けずに

私は最後まで着きそおうって腹をくくっていました。

 

 

 

父が入院して最初の週に

私は様子を見るために

実家に帰ることになっていたのですが

東京のとある神社にお参り後、

急な腹痛でと嘔吐で動けなくなり

次の日に寝込んで動けなくなりました。

 

これはノロっぽいかも、、、

本当に苦しくて死にそうだったのだけど

次の日に病院へ。

 

 

ウィルス性の胃腸炎ということが分かり、

数日で回復すると医者から伝えられました。

 

ううう、、無念。。

こんな時に何やってるの私。。。

 

と、ちょっと悲しくなったのですが、

その神社で買った手首に巻く糸で編んだお守りだけを

実家にとりあえず送り

自身の体調の回復に努めていました。

 

 

次の週にかなり状態が落ち着いたところで、

母が「父の入院中にやっぱり一回帰っこれないか?」と

改めて連絡があり

 

日曜に仕事があるから土曜までしか滞在できないけど

まぁ3日帰れるならいいのかも。。。と、

 

病み明けの体調を押して奈良の実家に赴いたのでした。

 

 

父、人生の卒業式まであと4日。。。

 

 

(続く)

 

 

 

 

 

 

 

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