瞑想中に見たヴィジョンのお話です。
下記文章は瞑想中に私が垣間見たものですから
あくまでフィクションですよ〜。
(夢日記的な感覚で読んで頂ければと思います。)
何故か、瞑想すると赤い人魚になって泳ぎ始める事が多いのですが、今回も
二股のヒレを持つ赤い人魚になって瞑想中に現れる「海」に潜ってました。
久しぶりにかなり深海まで潜っていて、するとそこに一人のおじさんがいて
うらめしそうに海底深くポッカリ空いた海溝を覗いていました。
おじさん曰く「どうしてもあの底にいけない」「恐い」「もう少しなのに」
ほんとうに悔しそうに覗いていました。
なんとなく「私ならいけるのになぁ?」と想い、おじさんの手を取って
おじさんを海溝深くまで導いてみました。
おじさんはどうやら、海溝の奥深くに「母体」を見いだしていたみたいで
私のヴィジョンでは無数の泡が際限なく生み出されている感じなのですが
彼にはそうは見えていないようでかなり混乱していました。
彼のヴィジョンを借りて世界を除き込んでみると、DNAの螺旋の1つ1つに
自分が今までして来た「耐える」という状況と「受容性」という領域の悶え
のようなものが延々と循環を繰り返しているというもので、結局ここまで来
たのにどこにも自分が求めていた物が無いというか必死で探している感じ。
なんというか
吐き出せれない悶絶という感じでしょうか。
彼はなんかめっちゃ混乱していました。
結局自分の居場所は無いのか???という恐怖というか感情のようなものが
ボロボロと鱗の様におじさんから吐き出されていくのが解りました。
そして感情のはけ口が無くて、とっても辛そうだった。
なんとなく、おじさんの求めている「居場所」というのは女性の根元の中に
ある究極の居場所??う〜ん子宮なのじゃないのかしらと、ふと思いついて
なんとなく、ぎゅっと抱きしめてしまったのですが(^^;;;
おじさん耐えれないのは多分、彼が真に満たされた事が無いからかもなぁ。
この人はこの海で魚に、自由に成れなかったんですよね。
だからとっても苦しそうだった。
なんて思いつつ、自分なりの慈愛のエネルギーをひたすら送り続けます。
私は私のやり方で、この無限に現れる泡を、おじさんの見ているヴィジョンに
重ねていき、居場所が無いというおじさんのDNA1つ1つに、おじさんに共通
するポジティブな意識「達成感」というキィワード重ねて連ねていきます。
まるで真珠に糸を通す作業です。
そうするとDNAの螺旋の中に苦しみや恐怖しか見えなかったのが、全ておじ
さんの満足そうな顔に変容してDNAが全て統合されて1つの「円」になって
いきました。
それをおじさんは私と見ていたのですが、彼は目を輝かせて
「これはこれで良い物かもしれない!!」と、
円の中に紡がれた自分の全てを満足げに見ていました。
多分ここにくる前のおじさんが求めた物ではないかもしれませんが、何か
彼なりの境地を垣間見たような気がしました。
そして私はおじさんを元の海に返して他の海へと移動しました。
やっぱりおじさんは深い海の底で何かを探していましたが、海底や深い穴ばかり
ではなく、他の領域も眺めて楽しんでいる感じがしました。
以上、ここまでが瞑想のお話。そして、ここからは私の瞑想の感想w
おじさんを泡の中でハグしていて、いろんな想いというか悟り?が
溢れて来たのですが。
(一応書いておきますがハグとかそういうのはあくまで〜!瞑想内のお話
ですからwリアルじゃないですからね〜。)
このごろの大半の男性や、女性の「性」の領域に依存してしまう男性という
のは実の所、一番安全な場所で抱きしめてほしいという「欲求」に耐えきれ
ずに色んな所で爆発させてしまうんじゃないかなぁって思いました。
性のエネルギー、というか所謂クンダリーニという背中を走る火の蛇のような
エネルギーでグググーっと底上げしないと自分は何がしたいのか解らない位に
人はとっても些細な事をお腹の中に隠していて、そこが苦しいのかもしれない
そしてそこが少しでも放出できれば、一時的にでも幸せを感じる生き物なのか
もなぁって想いました。
要は「抱きしめてほしい」という衝動が「抱きしめて欲しいんじゃー!」と
いう能動的な物に変じて流れ出てしまって、結局「いんじゃーー!」の勢い
の部分をのみ放出させ「抱きしめて欲し」の部分を忘却しちゃうという感じ。
そして放出した達成感で感情のリセットを行ってる?のかな??
でも根っこ残ってるから毎回その衝動が出て来たら耐えられないんだよね。
例えば、あの瞑想中に会ったおじさん。
おじさんって、ただお母さんに「いいこいいこ」してほしかった
そして自分がここにいるだけで母が喜んでほしかった。
言葉にすると些細だけど子供に知性や意識が芽生える前の「感情」を大人が
文章や思考でその時をありのまま描写しきれるなんて事は殆ど無くいつのま
にか掬い上げたかった物が有った事を忘却し、掬い続ける事が主題にすり替
えられてしまったのではないか?
所謂「パブロフの犬」的な事というのかしら?
おじさんは破れた網を混沌とした感情の海にいつもギリギリまで落として、
一生懸命なにかを救い上げてる様にも感じました。
いつもそれなりに手応えがあるのに、本当に欲しい物じゃないっていうか。
でも網を混沌に入れる快楽に陶酔して、何かが麻痺しちゃってる。
でも苦しいから、求めてるから
必死で何か掴もうと網を海にくぐらせ続ける訳で。
この話の流れでいくと、おじさんを癒せるのは彼の母親ということになるん
だけども、三次元的にいくとそれは多分無理な話。
彼は、今の「母」ではなく子供の頃の「母」に癒されたい。
じゃぁこれを超える物は??
そうなるとやはり現段階ではパートナーの女性から与えられる愛や超越した
何か癒される、満たされる事が一番の滋養になるんじゃないかなぁと思った
のでした。そしてそれで本当に満たされ癒される場合も有ります。
私の最近の持論なんですが、「女性を癒したら、男性も癒される。」
なんだかんだと現在の考え方はここに行き着いています。
男性は結局、女性に癒される様に出来てるんだろうなぁと思うのですね。
要は自分の「男性的」な所は「女性的な」所で癒されるように出来てる。
究極とは云わずとも、限りなく相性の良い凸と凹かー。
うむ〜。奥が、奥が深いなぁ(^^;;
でもこの凸凹の出会いが全てではなくって
この凸凹が合わさった先がきっと有るんだと
思うんですよね。
そこがきっと本題なんだと思う。
やっと始まりなんだと思いました。
うむ、おじさん。
奥の先は明るいとおもうよ。